古関裕而の妻(奥さん)の金子夫人のプロフィールや経歴、実家の家族についても調査!

古関裕而の妻(奥さん)の金子夫人ってどんな方なんでしょうね?

古関裕而さんを支えた人だというイメージがありましたが、実は、金子夫人も音楽の才能が豊かな方で、しかも意外にも二人の始まりのきっかけを作った人でした。

金子夫人のプロフィールや経歴、実家の家族について、そして金子さんの歌声動画もありましたので、見ていきましょう。

古関裕而の妻(奥さん)の金子夫人のプロフィールや経歴

古関金子 こせき きんこ

1912年3月6日生まれ (明治45年)

1980年7月23日 乳がんのため死去 (昭和55年) 享年68歳

旧姓 内山

愛知県渥美郡豊橋市出身

愛知県立豊橋高等女学校を卒業

オペラ歌手を目指しながら、家計のために雑誌編集の手伝い。

古関裕而さんが、コンクール入賞したことを新聞で知り、手紙を送る。

古関裕而さんと18歳で結婚、その後に上京

帝国音楽学校入学

師匠はベルトラメリ能子さん

オペラの舞台に立つ

子育てのため音楽から離れていく。

古関裕而さんの奥さん、金子さんは妻として、母として、声楽家として活躍されたんですね。

ちなみに、古関裕而さんが亡くなったのは1989年8月18日でしたので、9年くらい奥さんの金子さんより長生きされました。

大正時代に女性が大学に通うということは、実家も裕福だったのでしょうか?見ていきましょう。

金子夫人の実家のご両親はどんな方?

金子さんの実家、旧姓、内山家について見ていきます。

金子夫人の父はどんな人?

金子さんの父の名前は内山安蔵さんです。

陸軍に馬具を納入する商人をされていました。時代を感じるお仕事です。そして、陸軍と取引がある商人だということは、裕福な家庭だったのでしょうね。

と思ったのですが、金子さんが12歳の時に父の安蔵さんは急死してしまいます。

金子夫人の母はどんな人?

金子さんの母の名前は、内山みつさんです。

内山家には、お子さんが7人いらっしゃいました。一男六女です。金子夫人は三女でした。今なら、子供の数がすごく多いと感じるけど、昔なら、そんな家族も珍しくはなかったでしょうね。

内山みつさんは、子育てをしながら、家業の手伝いをされていました。

古関裕而さんとのはじまりは、金子さんから送った一通の手紙

夫人の金子さんと、古関裕而との出会いのきっかけは、金子さんからの一通の手紙でした。

古関裕而さんが、コンクールで優勝したことを新聞で知り手紙を送りました。その後、二人は文通を始め間もなく恋に落ちました。

金子さんから始まったというのは、意外でした。しかも、二人は文通で恋に落ちたんですね。実際の手紙を見ると、古関裕而さんの手紙には、音符が書いてあり女性的な楽しい感じで、金子さんの手紙は文章のみで男性的な感じがします。

そして、二人は文通を初めて数カ月後に、初めて豊橋で対面し、そのまま福島へ向かい事実上の結婚生活をはじめました。

古関金子さんの歌声は?

古関金子夫人の歌声について、こんなyoutube動画を見つけました。

月の砂山 内山金子(古関金子)

1933年に発売されたレコードのようです。

という事は、二人が東京に行った頃の作品ということになります。名前もまだ、旧姓の内山金子になっています。

して、金子夫人はこの後オペラの道に進んでいかれます。

金子夫人の動画は見つけられませんでした。

アイーダのオペラというとこんな感じで歌っていらっしゃたのでしょうか?

オペラ名作鑑賞 アイーダ 出演パヴァロッティ

私は、アイーダと言うと劇団四季を思い出しますが、アイーダって1871年に初演されていた歴史ある作品でした。

まとめ

古関裕而の妻(奥さん)の金子夫人の人生について見てきました。古関裕而さんを支えた妻というイメージがありますが、妻の金子夫人も音楽活動をされていました。

そして、二人の馴れ初めを見ると、金子夫人から送った手紙から二人の人生が始まったんですね。

金子夫人もすごい才能がある方だったことが良くわかりますね。

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